#15 黒髪大吟醸

 黒髪の男というのは、どういう遺伝的素因があるのか知らないが、どことなく艶めいた印象がある。のはなんでだろう。骨格が華奢だから?別に筋骨逞しい黒髪の男がいないわけではないのだが。例えば今年カカシと同じく下忍担当になった同僚の猿飛アスマとか。逆に色素の薄い男の方でも綺麗めな顔立ちの優男は多いはずなのだが、肌の色のせいだろうか。
一般に濃い色素の人間の方が肌理の細かい滑らかな肌をしている。カカシなど色素の究極に薄い部類だからか乾燥肌だし耳垢だって粉っぽい。
黒髪でも部下のサスケとか、特別上忍の月光ハヤテあたりは耳垢も粉ッぽそうだ。彼らの肌は青白いほどの白さで、今カカシが念頭に置いている系統の人間とはちょっと違う。あ、大蛇丸は青白いけど耳垢湿ってそうだ。
今、カカシが思い浮かべているのは、髪が黒くて肌が浅黒くて、でも日の当らない部分は妙に白かったりする、眉がくっきりしていて眼が意外に大きかったりする、女顔というわけでもないのにどことなく物腰の柔らかな印象がある、部隊に一人二人いるような、そういう種類の人間だ。一人一人見れば充分男らしく体も鍛えているのに他の男達の中に入ると、背が低いわけでもなく性格が大人しいわけでもないのになんとなく、どこかしら艶があるような印象がある。
カカシは商売女もうっとり見惚れて「綺麗」と評するような色味を持っているが、あの手の、なんだろう、猥雑な色味は持ち合わせていない。
やはり、ついて行けばよかっただろうか。
そんな事が出来るわけもなかったのだが繰り返し考えてしまう。
街道沿いの宿場で任務中の彼に出会った。いつもとは全く違う風体で、普段の彼からは想像も出来ないような事をしていた。標的であるらしい男を落としていった手並みは鮮やかだったが、チャクラを温存していたということはあの後戦闘になる可能性があったということだ。
あれから二日が経過していた。いつも彼が座っている受付の椅子には違う若い忍が座っている。
まだ彼は任務から帰らないようだ。
「黒髪の男ってエロいよなあ」
イチャパラのページを眺めながら呟いたカカシに向かいのソファに座っていた同僚が嫌そうな顔を向けた。二人とも受付のソファに座って混雑が引くのを待っていた。夕暮れの迫ったこの時刻はいつも人が多い。長く伸びた列の後ろについてじっと立っているのも面倒なので座って煙草を吸ったり雑談をして時間をつぶしている人間もそれなりにいる。
「なんだ、コラ。俺に言ってんのか?」
煙草のフィルターを噛んだアスマに思いっきりガンをつけられた。
「いや、アスマはちゃんと除外したから」
真面目に申告すると、そうか、と了承された。
しかし密かにアスマが同性に人気があることは知っている。
やっぱりエロいのか。
一度、目を逸らし、ふーと紫煙を吐いてからアスマが訊いてきた。
「なんで男なんだ?」
「黒髪の女がエロくても取り立てて考える事でもないデショ」
「そうだが」
アスマは変な顔をした。
アスマの心中としては、昼真っから受付所で何を考えているのか分からない半眼で十八禁本を読みながらある種の同性のセックスアピールについて考察をめぐらせている同僚とはいかがなものか、である。
手練れの忍に奇行が多いのは昔からだが、それが敵のみならず味方をも欺くためである場合もそうでない場合も多々あり、今、目の前にいる男の場合は半々だろうとアスマは踏んでいるが、しかし、今のはアスマ的に微妙なラインだ。
なんつーか、本音っぽい。
「趣旨替えしたのか?」
「いーやぁ?」
なんで語尾が半音上がるんだ。
「おまえ、さ」
「大体、連隊組むとさ。一人二人はいるじゃない、そういう人」
「まあ、いるかもな」
「そういう人ってどういうものなのかなあ、って」
「どういうって?」
「なんとなく受身に回りがちだったりするじゃない。本人的にはどうなのかなあ。中忍だと年齢的にはとうが立ってるわけだけど上から命令されたら断れないし」
そんな境遇の男に同情しているのかというとそうでもないらしい。どちらかというと興味があるような口振りだ。つまり、カカシは黒髪の中忍の男のセクシュアルな面についてあれこれと考えを巡らせて悶々としているらしい。
女を知らない十代の少年が女なる未知についてあれこれと思いを巡らせているような、そういうのを写輪眼のカカシがやっているというのはちょっと…。今更、忍の里で男が男を口説こうが、ふーん、こいつも好きだな、くらいにしか思わないが、それはちょっと…。
「おまえがムッツリだって事は知っている」
知ってはいたが、それは、ちょっと…だ。
アスマの微妙な心情には配慮しないままカカシは黒髪の男について考察を深めていったようだった。

あの人も汚れ仕事を請け負うのだ。
そう考えると胸が躍った。
任務のために女を誑かしたり、媚を含ませた目で男を誘ったりするのだ。人の情や欲を逆手にとってその空隙に刃をたてたりするのだ。
いつも太陽の下で子供達に囲まれて純朴そうな笑顔を浮かべている、その彼も教師という職を離れれば自分と変わらぬ一匹の忍びにすぎないのだ。
彼の戦う姿を見てみたかった。
組んだ足をぶらぶらさせながら物思いに耽っているカカシに愛想を尽かしたようにアスマが立ち上がった。そろそろ人も引けてきたし列に並ぼうかと受付に視線を巡らせると、カウンターの奥の扉から一人、内勤らしい男が入ってきて同僚達に向かって何事かを告げた。
「それ、イルカが行った任務じゃないか?」
カウンターの中で誰かが声を上げた。
「え!すごいじゃないの!」
「これは金一封出るぞ!」
列に並んだ者達は混雑にうんざりしながらカウンター内で持ち上がった騒ぎを見守っていたが、「火の国との合同捜査」という単語が出ると皆、素知らぬ顔をしながら聞き耳を立てた。カカシとアスマも見知った男の名が上がったのを聞きつけそちらへと注意を向けた。
「あの先生、見かけないと思ったら任務に出てたのか」
アスマが感心したように言う。
「すでに火の国では号外がでているらしい」と最初に情報をもたらした男が興奮気味に話している。
イルカの任務は大事になったらしい。
あの時のイルカからはそんな物々しい気配は感じなかった。下忍の少年が混じっていたし、ごく少数で行動しているような印象だった。
髪や頬に触れてきた手の感触を思い出してカカシはふるっと肩を震わせた。
「それで、イルカは今どこにいるんだ?」
「さっき帰投したんだが検疫で引っかかってるらしい」
大門の外側、脇の詰め所からすぐの所に検疫がある。
害をもたらすような動植物や病原菌が里内へ持ち込まれるのを防ぐために医療部や処理班から配属された検査官が外来者や帰還者を検査する場所だ。農作物や家畜の持ち込み時に行われることが多いが、特殊な内容の任務からの帰還者も足止めされることがある。
検疫で足止めされるようなことといえば何かを持ち帰ったかここにはない病のある土地へ行ったか、毒を使われたか。
何事があったのだろうとざわめき始めた受付所にどこからか異臭が流れ込んできた。焦げ臭いような甘ったるいような臭いだ。
入り口を注視した人々の前にエントランスを潜って一小隊四名の忍がずかずかと入ってきた。
四人とも燻されたように煤にまみれ、ベストもアンダーも汚れて破れた箇所もある。支給服の襟を鼻の上まで引き上げている。わずかに露出した黒ずんだ肌の部分に目だけが炯々と光り、戦闘を終えてきたのだとすぐに分かった。
「道を空けてください!どうぞこちらへ」
受付の男が身を乗り出して声を上げた。四人の先頭に立って入ってきたのは背は高いが痩せた男だった。その脇に付き従うようについていた中肉中背の男が覆面をずらして口元の白い肌を晒した。布の下から鼻っ面の傷が現れた。
「報告書の受理をお願いします。一応、検疫は通ったのですがすぐに洗浄するように言われましたので」
男の言葉にその場にいた者達が道をあける。
臭いの元は彼らだった。彼らの顔の下半分を覆う黒い布は顔を隠すためだけでなく下地に特殊なフィルターを縫い込んだ防毒マスクの役割も果たしている。もう誰もが彼らの体から立ち上る焦げ臭い甘ったるい臭いの正体に気がついていた。
幻覚作用のある植物を焚いた匂いだ。
臭ってくる程度なら周囲に影響はないが、おそらく彼らは任務時にその成分を含んだ煙をマスク越しとはいえ相当吸い込んできたと思われる。小隊の中には少年も混じっている。早く煤を洗い流し処置を受けた方がいいと検疫で言われたのだろう。
鼻の上に一文字の傷を持った男が人々の間をすり抜けて報告書をカウンターに提出した。先頭に立ってきた部隊長らしき男や他の二人は入り口で待っている。
受付係は手早く書類を裁いた。いつもはあの机の内側にいる人間が書いたのだから不備も書き損じもないようだった。
カカシは彼らが受付所へ入ってきた時からずっとイルカの煤と泥にまみれた精悍な顔を注視していた。未だに前線の張りつめた空気を纏い付かせたままの熱に浮かされたような顔だ。
「確かに受理しました」
受付の男のその言葉を聞くとイルカは他の三名と共に受付を後にした。
一度もこちらへは目を向けなかった。

火の国で配られたという号外の瓦版が里内に流布したのはその日の午後だった。任務から帰った誰かが持ち帰ったらしい。
火の国の警邏部隊と木の葉忍びが国境付近を根城にした麻薬密造グループの拠点に踏み込み大規模な捜査を行ったというのが事件のあらましだ。その際に大きな火災が起こったそうだから周辺に事件が伝わるのは早かったようだ。任務にあたった忍の名はもちろん書かれていないが、従事者の周辺にはすぐに見当がついたらしい。
箝口令が敷かれなかったのは火の国内外に木の葉の働きを見せつけるいい材料だと判断されたからだろう。
これは本当に金一封ものだろう。火の国の国主から正式な礼があるかも知れない。

 

数日後、一人の特別上忍が退官することになったというので集まりがあった。
カカシも知っている男だ。
任務での怪我が元で片手が不自由だったがそれでも長く戦場に身を置き、多くの戦功を立てた。彼に世話になった者は多く、労いの宴を開きたいと有志が参加者を募った。その日は班での簡単なDランク任務が入っているだけだったのでカカシも顔を出すことにした。任務を終え報告所へ入ると偶然、顔見知りの他の班の指導教官達も任務を終えた所だった。皆、その集まりに呼ばれているという。
じゃあ、まあ、一緒に行きますか。そう話がまとまった。
アスマ、紅、ガイ、そしてカカシ、四人とも上忍師としての任についているが一緒に行動することは多くはない。
「この前の火の国との合同捜査が最後の任務なったらしいわね」
耳の早い紅が言った。
「最後を飾るにゃあいい仕事だったろうな」
アスマが軽い調子で答えた。
「本当はもう引退を考えていた所へイルカ先生が頼み込みに来たんですって」
最初、任務のランクはCランク、失踪人の捜索任務だったらしい。それがどうして火の国の警邏部との大掛かりな捜査へと発展したのか詳しい事は今のところ報告を受けた上層部しか知らない。
ただ、依頼が持ち込まれた当初は受付で断ろうかという意見が出るくらい小さな依頼だったらしい。
「当事者に聞いてみるのが一番好いんじゃないか?」
アスマが顎をしゃくった。そちらへ目を向けると渦中の人物が鞄片手に受付を出てきたところだった。
「イルカ先生も参加するんでしょう?一緒に行きましょう」
紅が声を掛けた。馬鹿なことだがカカシは彼の姿を見て少し怖じけてしまった。この間、あんな姿を目にしたばかりだ。一体どんな顔をするだろうかと見守っているとイルカはいつもの感じの良い笑顔を浮かべて頷き近づいてきた。
もういつもの受付で会う平和ボケした内勤の中忍らしい顔になっている。
それに端倪すべからざるものを感じたのは自分だけだったのだろうか。

貸し切りにされた飲み屋は既に一杯だった。今日の主役の人望を表すように下忍から上忍まで大勢が集まっていた。上忍四名に、プラス中忍一名は出入り口に近い卓にとりあえず腰を下ろした。
既に乾杯はすんでしまったらしい、各自てんでに杯を持って席を行き来している。引退する特別上忍は戦働きが主な男だったのでここにいるのも戦忍が主だった。
「イルカ先生はトキワ特別上忍とは前から知り合いだったの?」
紅がかけつけ一杯目のビールを干してイルカに尋ねた。
「いえ、依頼を受けてから上忍名簿を捲って探し当てたんです」
「へえ?」
「ちょっと難のある依頼だったんで、受けてもらえるような人がなかなかいなくて」
受付で管理されている名簿は里の中枢に保管されている個人データとはまた違い、忍び一人一人が今までこなしてきた任務の傾向や得意分野、嗜好まで網羅されていてある意味里の最高機密といっても良い。担当した係官がその時々に気がついたことも付け足していくのでそれ以外には残されていないような情報も載っているらしい。これは上忍であるカカシ達も触ったことはない。
「その上忍名簿ってどんなことが書いてあるの?興味あるわ」
イルカの隣に座った紅がイルカのコップにビールを注ぎながら流し目を送った。どうやら今日はあれこれ吐かせるつもりらしい。胃の中身まで吐かなければいいけれど。いつもの紅の飲みっぷりを知っているカカシはこっそりと思った。
「いやあ、最高機密なんて言ってますけど実際は大したことが書かれているわけじゃないんですよ」
イルカは顔を傾けて零れそうになったビールの泡を啜った。
「誰それに頼み込みに行く時には『大吟醸・紅葉舞』を持って行けとかね。内部の者しか使わないような情報ですよ」
「ふうん。私達についてはどんなことが書いてあるのかしら?」
「それは言えませんよ」
イルカが笑って言う。
「えー、じゃあ例えばカカシは?」
言えないとゆったそばから質問だ。
答えないだろうと思ったイルカはふっと意味深な笑いを漏らした。
「カカシ先生用には最終兵器が用意されていますよ」
え、なになに?なんなのそれ!?と紅が身を乗り出す。ガイやアスマまでイルカを食い入るように見つめている。カカシは普段通りの眠たそうな顔つきで、だが耳だけは大きくなった。
「幻のイチャパラ初版本です」
「え!!」
垂らされた餌にカカシは飛びついた。
「それって火の国で発禁になったっていう?」
「そうです。まだ前編後編とも書かれていない、『シリーズ』表記もないものです」
「じゃあ、削除されたって言う31頁分も…」
「削除される前の完本です」
「イルカ先生、それ…」
中毒患者のように手が震えた。まさにカカシはイチャパラ中毒なのだ。
「今後、何かの際にカカシ先生に何かお願い事をしなくてはならない時のためにキープしてあるんです」
「そんなの、今すぐ下さいよ!!何でも言うこと聞きますよ!?そんなのが里内にあるって事が分かっちゃったら俺、今夜から眠れません!!」
んー、でも使い時はちゃんと判断しないと…とイルカは考え込むような素振りをした。お願いします、本当になんでもしますから、と中忍相手に頭を卓に擦りつけんばかりのカカシに頭上から呆れたような声が響いた。
「気をつけろよー。似たような話で三年間、受付にいいように使われた奴を知ってるぞ」
アスマの声に顔を上げると、「もう、言っちゃダメですって」とイルカ先生が苦笑していた。
ネタ!?ネタだったのか!?
「一瞬、夢を見ました」
イルカ先生はいつも俺の夢を砕きます。そう言ってすんと鼻を鳴らすとイルカは慌てたようだった。「ごめんなさい。そんなにがっかりされるなんて思わなくて」と申し訳なさそうに眉を下げた。
カレーを食わせてもらってから甘え癖がついたみたいだなあと自分でも思いながらカカシはイルカの人の良さそうな申し訳なさで一杯ですという顔を堪能した。やっぱりそういう顔をしている方がイルカらしいと思う。
この間の任務先で婀娜っぽい着物を着ていた姿や、任務後の荒んだ空気を纏ったイルカも良かったけれどこの方が安心だ。
そんなことを思いながら一方では『イチャパラ初版本』についてイルカがそんな詳細な事まで知っているのはおかしいのじゃないかと疑惑を向けた。マニアでもない限り、初版本に『シリーズ』の表記がないとか、刊行された当初は前後編ですらなかったとか知っているだろうか?もしかしたらイルカはどこかで実際に幻の初版本を目にしているのかも知れない。今度こっそり受付内に忍び込んで探してみようか。
「おいおいおい、物騒なこと考えてるな」
煙草を銜えたアスマが顔を覗き込んできたが無視した。
紅はカカシのわざとらしいしおらしさにまったく心を動かされなかったらしく、もう違う話題に移っている。
「難のある任務ってどういう事だったの?」
「まあ、平たく言うと報酬が安すぎたんです」
紅に振られてあっさりイルカは白状した。もう終わった任務だし、あれだけ話題になってしまった事だから内容を話してしまってもいいらしい。
依頼の内容はカカシが予想したとおり街道沿いの村に関係する事だった。以前、他の任務に向かう途中で通りかかり子供の姿が殆ど見えないことを不思議に思ったのだ。その帰りに宿場で任務中のイルカと鉢合わせした。
依頼人が持ち込んできた話はこうだった。
街道沿いのある村へ口利き屋がやってきて子供達を奉公に出さないかと村人達に持ちかけた。食事も寝床も確保するし、給金もはずむという。貧しい農村だったから毎日食事が与えられて給金も支払われるのであれば、村にいて農作業に従事するよりもいいだろうと大人達は考えた。そこで子供達を口利き屋に任せて働きに出した。
最初の二、三ヶ月はちゃんと仕送りも届いたのだが、半年もするとそれも滞りがちになり音信も途絶えた。不審に思っていたところへ村へ立ち寄った旅人が一通の手紙を携えてきた。
文字の書ける年長の子供が書いてこっそりと通りかかった旅人に託したものらしい。
手紙には毎日畑仕事をしている。仕送りはきっとするから待っていて欲しい。すまない、すまない、とそればっかりが書いてあった。
もしかしたら給金を与えられずにただ働きをさせられているのかもしれない。半年の間一度も里帰りもさせずに手紙も来ないというのはおかしい。そう思って何人かの親が子供を訪ねて行ったのだがいつも門前払い、子供達に給金は支払っている、仕送りをしないのは子供達が勝手にそうしているだけだという。確かに届いた手紙にも給金はもらっているというような事は書いてあったが、ではどうして便りもよこさず顔を見せもしないのか。雇い主は街道沿いの平野に高い塀に囲まれた大きな邸に住んでいるが、子供達はそこにはいないようなのだ。名主に訴えてみたが奉公に出す時に書いた証文を盾に取られてどうにもできないという。
名主から仕送りなどしなくていいから帰っておいでという文を遣ったのに子供達からも返事はない。
一体、子供達はどこでどうしているのか。
そこで村人達はなけなしの金を持ち寄って木の葉の里に捜索を依頼することにした。
その依頼を受けたのは顔に一筋の傷を持つ、きりりと髪を結い上げた若い中忍だった。アカデミーでの授業を終えて昼からのシフトに入った彼は、村人の携えた金子袋を前に大いに頭を悩ませている同僚達の姿を目にした。
「どう考えてもCランクなんだよ」
受付所で渋い顔をしている同僚の一人が言った。だが依頼人である村が出せる金額はDランクがやっとだ。そもそも金に余裕があるのなら子供達を奉公になど出さない。
「上忍一人に下忍三人の一小隊を送り込むにしても、荷が勝ちすぎる」
下忍のスリーマンセルについている上忍師は部下の教育も兼ねているから特別サービスみたいなもので、お得なパック販売のように使えるのだが安く使えるのは経験の浅い下忍のいる班だけだ。Cランク任務はやはり中忍に任せるのが基本だ。
「この金額じゃあ、無理だよなあ」
忍びだって体を張って任務をこなすのである。それなりの報酬がなければ依頼は受けられない。
断るしかないだろうか、そう結論が出そうになった時、「待ってくれ」と声を上げた男がいる。
「俺がなんとかする」
そう言ってイルカはその件を引き受けた。

 

「それであたしのとこ来たのよねえ」
ひょい、と銚子を持った女が一人、座に分け入ってきた。紅とは反対側へイルカの隣に陣取ると
「こんばんはぁ。中忍のみやまアゲハです」
と華やかな笑顔を見せた。
「あ、アゲハさん、あの時はお世話になりました」
慌てて頭を下げたイルカを尻目に女は隣り合ったガイに酒を勧めた。どうやら無駄弾は撃たないタイプの女らしい。紅のように整った顔立ちというわけでもないが妙に色気がある。ガイが照れ笑いをしながら酌を受けている。
「ぜーんぜん、結局あたしは何のお役にも立てませんでしたしぃ」
拗ねた顔を作ってカカシにも銚子を向けた。栗色の髪がくるんと肩の辺りで巻いていて、卓の上に身を乗り出すと忍服の上からでも大きな胸が揺れるのが分かる。
「ああ、あんたが情報収集専門のくのいち?」
カカシが思い当たって尋ねると女はむっと口を引き結んだ。
「す、すいません。本当に申し訳ないことをしました。俺の調査不足で---」
イルカが取りなそうとするがアゲハは「もー、いいわよう。何度も言われると余計に腹が立ってくるんだから」とイルカの脇腹に肘を食らわせた。
「紅さんもどうぞー」
女は悪びれずにイルカの前から紅にも酌をした。
「アゲハ、あんた謹慎中じゃなかったの?」
紅がお猪口でなくコップに酒を注がせる。二合しかないのにそんなになみなみ注いだら全員に行き渡らなくなるんじゃないか。カカシはお猪口を舐めながら様子を見守った。
「今回の任務のお手柄で解けたんです」
最後に一番遠いアスマが酒を注いでもらったがやっぱり酒は残り少なかった。
「あんた、あの中にいたな。覆面してたから顔は分からなかったが」
乳で覚えてたんでしょ、アスマは。心の中でカカシはつっこむ。そういうカカシも四人が受付所に入ってきた時、一人いい胸をした女がいたのは覚えている。
イルカが任務のために集めた人間は四人、特別上忍でベテラン中のベテランだが片手が不自由なトキワと、上官との不倫が元で謹慎中だった情報収集専門のアゲハ、班で一人だけ中忍試験を落第した下忍のマツリ。
四人とも実力に比べて報酬が安い。それに内勤のイルカが加わって即席のチームを作ったというわけだった。
「トキワさんが部隊長を引き受けてくださって、アゲハさんやマツリの働きでどうにか任務を遂行することが出来ました」
イルカがもう一度頭を下げた。

女が次々銚子を追加するものだから皆、だんだん酔いが回ってきた。多分、これは大吟醸四代目だ。故人を偲んで造られたこの酒は歴史は浅いが爽やかな口当たりで人気が高い。三代目という銘柄もあるがこちらは雑味の多い重い口当たりで通に人気だ。造った人間はなかなか分かっていると思う。
カカシは酔っても顔には出ないがガイやイルカは既に真っ赤になっている。アスマは先ほどから酒には手をつけず煙草ばかりをふかしている。紅は涼しい顔で水のように酒を飲み続ける。
「山奥の耕作地で子供達に芥子の花を育てさせていたんですよ。給金は支払っていたんですが、薬を仕込んだ飴玉を子供達に売りつけて全部巻き上げていたんです」
ああ、それであの時イルカは「飴玉ちょうだい」と言っていたのだ。カカシはねだる甘い声や顔つきを目の前のイルカに重ねてみた。悪くない。
カカシの腹の内など知らないイルカは猪口を握りしめてきゅうっと眉根を寄せた。赤く染まった顔が更に赤くなった。
「毎日、きつい労働をさせられて給金が入れば飴玉の一つも買いたくなります。そうやってだんだん薬を体に染み込ませていって、それなしではいられないようにしていったんです」
ひどい話だ、とガイが憤慨して声を上げた。まあまあ、とアゲハが酒をイルカとガイに注ぐ。
「本当にひどい話です。それでやつらは、給金は払っている、買うのは子供達自身の意志だと、そう思いこませていたんですよ」
大人だって薬の力には抗えない、まだ精神も肉体も成長過程にある子供達などひとたまりもないだろう。
「旅人が届けてきた子供の手紙には、一言も仕事がきついとか帰りたいとか書いてないんですよ。ただ、すまない、すまないって。自分の意志が弱いから約束したのに家に仕送りが出来ないって。せっかくお金を稼いでも無駄遣いしてしまうんだって」
相手の口を封じるには巧いやり方かも知れない。給金は支払う、それを何に使うかは子供達の自由だ。薬で得る快楽欲しさに散財すればそれはそのまま罪悪感に変わる。罪悪感が強ければ更に薬に依存するだろう。こんな自分では家に帰れない。親に合わせる顔がない、そう子供達は思っただろう。
じわりとイルカの目に鈍い光が浮かぶ。
「そうやって、退路を断って追いつめておいて、選んだのはおまえだって言ってたんですよ。相手の弱さを知っていながら。そういうやり口が許せないんです」
突然、激したようにイルカの口調がきつくなった。
「子供っていうのは純粋なんです。期待されたら応えようとする。ひねくれて見える子だって本当は応えたいって思っているんだ。誰かに、よくやった、って言ってもらいたいって思っている。そういう気持ちを利用して罪悪感を植え付けるようなやり方で子供達を縛るなんて----」
泣くかと思ったがイルカは堪えたようだった。
かわりにガイが彼をがっしりとその胸に抱き込んだ。
カカシ、紅、アスマの三人は少なからず毒気を抜かれた。
ガイの胸に顔を埋めてふるえている、これはなんだ?
カカシにも幼い部下がいる。彼らのためなら自分の命を盾にしてもカカシは戦うだろう。他の上忍達も変わらない。木の葉の忍びとして木の葉の子供達を守のは当然だ。そこにあるのは固い血の結束と同胞への愛着だ。
だがこの男の中にあるのはもっと普遍的で無差別だ。
ただ、弱い者がそこにいれば庇う、それを当然だと思っている。
報酬が安くてすむといっても限度があろう。多分、イルカは自分の取り分を放棄したのだ。宿代や食費などの諸経費ももしかしたら肩代わりしたのではないか。
それではまるっきり舞台で演じられる正義の味方じゃないか。それなのになんだ、このめでたしめでたしな世界は。
カカシにしてみれば弱い者が強い者に蹂躙されるのはこの世の摂理である。淘汰というのはそういうことだ。子供は弱い、だが守ってくれる手がなかったとしてもそれは運が悪いだけだ。危険に対する知識がなければ食い物にされても仕方がない。親だって危険に対する意識がないから子供を奪われるのだ。可哀想だとは思うが、群れからはぐれた子鹿は死ぬしかないだろう。
カカシにしろ他の上忍にしろ多かれ少なかれそういう常識の世界で生きている。
なのに、こういうのってありなのか?
ガイ以外の上忍は三人ともがそういう感慨を持ったと思われる。そこへ女が追い打ちを掛けるように言った。
「大変だったんですよう。イルカったらあいつらを皆殺しにするって言い張って」
「イルカが…?」
アスマが驚いたように女に目を向けた。
「そうですよう。トキワさんが止めてくれなかったらどうしていたか。まあ、途中から麻薬密売ルートを追っていた火の国の警邏達と合同捜査になったんで極端な事はできなくてちょうど良かったんですけどね」
カカシは浅黒い肌に血の色を浮かべ、固く目を閉じている男を見た。歯を食いしばっているのだろう、頬に歪んだ靨ができている。
九尾狐の器を命がけで庇い、見知らぬ子供達のために身を切って奔走する男の中に潜む激情に気を引かれた。
こんな男を躊躇わず胸に抱き込めるガイを心底うらやましく思った。

他の男の腕の中で激情に顔を歪める彼の顔を思い浮かべて、後々何度か一人でイタシてしまったことはカカシの生涯の秘密の一つだ。

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